祖先と水

人類の祖先と水

水辺は大変便利ではありましたが、私たちの祖先は猛獣たちから危険を避ける為に、森の中で生活をしていました。
しかし、石器や住居を作り集団での生活をおこなうようになってくると、便利な水辺へ近づき、そこでの生活をしたといわれているのが、今から約200万年前といわれています。

川や湖などの水辺は、飲み水がすぐに手に入るという事だけではなく、水を目的に集まってくる動物たちの狩りも行える便利な場所でした。
それは後に行われた農耕にも、最適な場所でした。

水辺で網を作り魚を取ったり、やがていかだや小船を作り海原へと漕ぎ出し、水を通り道としてはるか遠くまで移動するようになりました。
それはやがて船を漁だけではなく品物を運び、物々交換などが行われるようになっていきました。

縄文時代後期、約4000~3000年前ごろになってくると、海水から塩を作ったり、アクの強いどんぐりや栗などを水で煮ることで、アク抜きをして食べるようになってきました。
調理に水が利用され始めたのです。
弥生時代になると(最近では紀元前10世紀ごろとされているようです)、水田の稲作が始まり、水と豊かな土地をめぐる争いもおき始めました。
そしてこのころには、現在のように米を炊飯して食べられるようになりました。

飛鳥時代に入ってくると、水を便利に利用するため、さらにため池や堤防を作り水害から守る為の、「治水工事」が行われる用になります。
奈良時代には重い税に苦しみましたが、人々の飲み水用の井戸は湧き水などの場所に作られ、その水を求めて女性たちは集い、井戸端会議を行ったり、物売りが訪れ、物々交換が行われるなど、人々の心に安らぎや喜びをも
たらす場所でもありました。

やがて奈良の東大寺では、その建設にかかわっていた多くの僧のために「湯屋」とよばれる風呂の始まりのものが作られました。
その湯屋が狭くなると、大湯屋とよばれる、今の大浴場の元が作られます。
この大湯屋を利用した人々がお礼として金を置いたのが、入浴料と鳴っていたようです。

鎌倉時代になると、漁師が自らの漁船で魚などを運び売って回るようになりました。
このような船を「かい船」とよばれますが、このような水上で働いたり、商売する人々が増えた為作られたルールは、海上交通の法律として長く参考にされるほど、高い完成度のものだったようです。
やがて争いの種になる井戸は争いを防ぐ為に神社によって守られるようになりました。
それは現在でも使用されているものもあるそうです。

鎌倉時代からは、今までと違って質素な精進料理が完成していきます。
それに伴い、料理は手の込んだものになり、生、干す、灰汁を抜く、焼くなどの単純なものから、煮付け、和える、蒸すなどのさまざまな調理法が生まれ、かまどに水が必要になってくるようになりました。
そうして家の台所に流しが作られるようになりました。

このようにしてみてみると、私たちの祖先たちは水とともにあり、時には争ってまで必要としているものでした。
そして、水とともに生活をして現在に至ります。
どれだけ大切なものだったのか、今がどれだけ感覚が麻痺しているのか、考え直すいい機会かもしれません。
また、こちらに放射能検査されたミネラルウォーターについての解説ページがあります。参考になさってみてください。